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庭園・書院

書院


明治40年10月 書院建築完成。
80坪、大戦前迄は客殿として使用されしも、現在では主に門徒集会場として使用されている。

本堂、書院共に、今次の戦争末期の軍の兵舎として徴用され、又、終戦後の枕崎台風、ルース台風と荒廃甚しきも、門徒中の懇念により立派に修復されたことは、創建当時のご先祖のご苦労に酬いたものと云えよう。






清涼山 庭園


書院落成後に造園されたこの庭は、京都で修業した梅本栄次郎の設計築庭したもので、当初は近江八景を模したものであった。戦時中に荒れるにまかせ、又防空壕の工作等で原型は無くなったものの、仏教婦人会員の毎月の奉仕作業等で庭園の体裁を整えて、四季折々のたたづまいを見せている。


庭石の多くは、当地方の開田の恩人前田正名翁が、築庭の雄大さに感服して関之尾の滝の奇岩を寄進したと伝えられる。特に化灯篭と云われる石は、典型的な欧突である。