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開基住職 大河内彰然

『親鸞聖人七百回大遠忌法要記念』として
作製された開基住職 大河内彰の銅像。
京都芸大名誉教授山本格二先生製作。

『親鸞聖人七百回大遠忌法要記念』として
作製された開基住職 大河内彰の銅像。
京都芸大名誉教授山本格二先生製作。

開基住職 大河内彰然略歴


寛永3年3月1日、兵庫県下元誓寺に出生。少年時代、姫路藩敬業館教授たりし河野鉄兜の林田塾に入り漢字を学び、後京都に上り、本願寺教校にて宗学を修めた。


明治10年本願寺に入り教学課注記を命ぜられる。


明治16年、日向国荘内郷 説教所常勤開教使を命じられて赴任。17年9月、32才のして清涼山願心寺を創建し、開基住職となる。以後、東京市ヶ谷監獄教悔師として3ケ年、そして鹿児島教区選出の総代会衆(宗会議員)に推される。また大島・沖縄へ初代の開教使として特派せられ、3ケ年間布教に従事する。その間、度々帰省しては自坊の教化にも余念無く、副住を始め役僧達をを督励して門徒地区の巡回布教に当らせたと云われる。


明治44年、本山讃衆に任ぜられ、大正4年4月まで福井、和歌山の別院輪番を歴任する。


本山要職を辞任し、愈々自坊の教化活動に専念しようとするとき、大正4年12月11日惣然と往生の素懐を遂ぐ。享年66才。


開基住職が本山の命により各地を転々としているとき、よくその留守をあづかり、1千余戸の門徒名を熟知し、当時の門徒より母の如く慕われて、願心寺の基盤を築いた開基坊守の功績も見過ごすことはできない。



大正9年11月の願心寺山門落成慶讃法要と同時に願心寺改装を記念して本堂左手に開基碑が造られ除幕式が行われました。